戦国時代、四国から三好長慶が天下を狙って近畿一円に勢力をのばし(1559年)、長慶は飯盛山の城主となりました。田原城はその支城として奈良県側を守りました。田原城の城主(田原対馬守)は、のちに田原礼幡(レイマン)としてキリシタンの洗礼を受けます。イエズス会の宣教師であったルイス・フロイスの「日本史」の中にも、礼幡(レイマン)についての記述が見られます。

阪奈サナトリウム敷地内で出土した墓碑は、この田原礼幡(レイマン)の墓碑です。表面には十字架とアルファベットのH、1581年という日付とともに「礼幡」の銘が刻まれています。現在確認されている日本最古のキリシタン墓碑です。

この敷地周辺は田原城主一族の菩提寺《千光寺跡》としてよく知られています。2002年の発掘調査で、この墓碑が見つかったのは千光寺の境内の端にあたる場所でした。キリスト教への弾圧を恐れて、表立った場所から隠すために埋められたのだと推測されています。

(発掘調査 当時のようす)

▼日本最古のキリシタン墓碑出土場所(阪奈サナトリウム敷地内)